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2007年3月25日 (日)

陽宅風水

Photo_108 どの方角に何を置くかで運命が変わるという話を信じますか?

(←クリックで方位盤表示)

一説には、風水インテリアが視覚から精神を刺激して人格そのものが変わり、それによって一生の運勢・宿命が全く違ったものになるという。この説が本当だとすれば、縁起物を置くだけという最も手軽な開運法が最も効果的な改運法ということになる…。

●東に青龍、西に白虎、北に玄武、南に朱雀の彫刻や絵画を安置する

●門扉付近に公母の獅子を設置する

●アプローチ付近に石敢当を立てる( 日本の石敢当―民俗信仰

●玄関ドア外から向かって右側・地上175cmの位置に浮き彫り・フルネームの表札をかける

●玄関ドアの真下に五帝銭魯班尺を埋め込む   ( 風水清朝五帝古銭吊飾りと魯班尺SET b55013

●玄関ホールに浮き彫りの家紋額をかける

●凶備である水場付近に凸面鏡をかける

●北東と南西に鬼門封じの御札を貼る

●床下やベッドの下に備長炭カーボンさざれ水晶チップ等を大量に積み上げる

●家宅の中心部に凹面鏡をかける            ( 風水照妖鏡 大型凹面鏡 b59008

●南東に龍亀、北西に貔貅の銅か真鍮でできた置物を置く( 龍亀の置物(小)

風水銅製避邪貔貅 ヒキュウ ヤーズ雌雄 一対 b42014

●南西に勉強の本、北東に銅か真鍮でできた一対の麒麟を置く( 風水の麒麟(真鍮製)

他にも様々な風水インテリアがあり、消費者としては目利きを問われるところだが、専門家の中には「風水インテリアは美容でいえば『お化粧』に過ぎない」と述べてその効果を疑問視する人がいる。

私の研究結果からいえば、先に箇条書きしたような狭義の風水インテリアとは『少しは運のある家をさらに幸せにするための補助ツール』である。

最初から運のない家の場合は引越すしかない。それができないときは次善の策として改築や模様替えを行う。

家具を動かすことすら無理というなら観葉植物を置いたり、お香を焚いたりして化殺するわけだが風水インテリアと大差なくなってしまう。

<開運>クッションカバー

水晶観葉樹

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2007年3月15日 (木)

不本意の誓い

沢山ある健常者の趣味の一つに「努力すること」がある。といっても本来の努力とは少し違っている。

勉強したり、運動したり、トレーニングを積んだりすることを「努力する」と呼んでおり、その多寡を根拠に人格の良い悪いまで判断している。文化の違い・価値観の違い…。

しかし本当の努力とは忍耐だ。思い通りにならないこと、つまらないことに耐えることだ。知能の高い人が勉強したり、体力のある人が運動したりするのはタダの趣味であり、我欲を満たして快感を得ているだけ。

寝たきりの障害者に価値を見出さない浅はかさ。生まれつきエネルギーが大きいだけの人を「善智識」と誤解してみんなでついて行く恐ろしさ。人間性よりも生産性で人格を評価する見識の低さ。

カリスマ信奉・弱い者イジメが礼儀作法の本質だと言ったら、社会性の強い健常者から怒られるだろうか…。

とにかく努力するなら本当の努力をしたい。「陰徳を積む」ではないが、カリスマやオピニオンリーダーには出来ない真の努力をしなければ結局は満たされない。

障害者が健常者と同じ自己実現をすべきとする旧態依然の福祉のあり方に疑問を感じる。

こころの痛み―どう耐えるか

派遣社員 セクハラに耐える女たち

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2007年3月13日 (火)

趣味よさらば

  “まったくするべきではないことを能率的にする。
   これほど無駄なことはない”

                   ピーター・ドラッカー

 
自閉人と定型人はともにこだわりが強い。ただし、そのこだわりの向きが違う。個人的と社会的。

どちらに偏ろうと趣味(恋愛や芸術も含む)ほど無駄なことは他にない。自閉人よろしく真実を求めても、定型発達よろしくロマンを求めても、結局は不幸になるだけ。

でも自閉症は先天的障害だから、悟性や好奇心・完璧主義や規則正しさを自制することができない。先天的健常者もまた娑婆っ気や衒学感情・プライドや礼儀正しさを自制することができない。

かくて全員趣味に努めることになる。個人主義の趣味をやっては自己実現に至らず、集団主義の受売りをやっては趣味に至らず(タダの劣化コピー)。

自閉は真実を求めるな、定型はロマンを求めるな、
趣味を持つな。

満足したいなら仕事とレジャーだけに控えるべきだ。自閉人が望むような完璧な管理社会も、定型人が望むような全てが曖昧なグレーワールドも、結局は実現しないのだから。

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2007年3月11日 (日)

甲斐性の報告

“突然ですが、私は結婚することにしました”
“私は、結婚するのが初めてではありません”

と衝撃の告白が3/9のアンジェラ・アキのブログに発表された。ショック。

単に好きな女性タレントを奪われたショックとは少し違う。私は彼女に中性的な魅力を求めていたのだ(といっても宝塚歌劇ではない。アレは女性文化だ)。男性タレントでいえば田村正和みたいなものといったらいいだろうか。

それにしても驚くべきは傑物の甲斐性である。発達障害の私からみれば学校を卒業するだけでも、集団行動をするだけでも、自分を誉めてあげたいくらい「よくやったこと」なのに、私と同齢・同好のはずのアンジーはアメリカの大学を出て有名になって2度目の結婚をした。

発達障害と大学進学―子どもたちの進学の夢をかなえる親のためのガイド

個人主義的メッセージやサラ・マクラクラン的センスの彼女の歌を聴いていると、とてもじゃないが巨大な集団の頂点に立っている社会的存在だとは思えない、いや、思いたくないのだが、事実アンジーは集団である。

私が思うに、器量人というか、生まれつきエネルギーの大きい人は個人主義と集団主義を両方同時にやれるのだと思う。 凡人の場合は自閉症者なら個人主義に、健常者なら集団主義に偏る。器の小さい偏執狂にしかなれないわけだ。

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