シンボリズム
暴走族の多い広島県では、「暴走族追放の促進に関する条例」第7条(事業者の責務)により、刺しゅう業者や印刷業者が暴走族を誇示する表示(夜露四苦など)を旗や衣服(特攻服!)などに刺しゅうすることを禁じた。
これにより、何千人もいた広島の暴走族は百人前後にまで激減したという。
警察があれだけ取り締まってもなかなか減らなかった暴走族が、刺しゅうを奪われただけで一気にいなくなってしまったわけだ。
この現象は、我々がいかにシンボルというものを重要視しているかを如実に示している。
暴走族にとって、暴走行為そのものは目的ではなかったのだ。
「不良である」という自分達の理想や好みを象徴する、いわば“儀式”だったのに、そのセレモニーに欠かせ
ない符丁や礼服が手に入らなくなってしまっては、もう
暴走族は続けられない!というわけである。
キリスト教徒から十字架を奪うようなものだなッ。
仏像を崇めない仏教徒や、儀礼を行わないイスラム
教徒なんて想像できるか?
我々が欲しいのはシンボルだ。
目に見えない理念や教条ではなく、表象的なモノや
コト、具体的なトラックレコードなどを呈示してもらい
たい…。
想像だけでオナニーするのは大変だから、どうしても
“ずりネタ”が要る。
我々は、それほどまでに意志薄弱なのだ…(-_-;)
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